ランジェリー近代史
女性の身体・社会・ファッションをめぐる百年
ブラジャーが発明されてから、わずか100年余り。 しかし、その短い期間における変遷は、単なる衣服の進化に留まらず、女性の身体観や社会構造、さらにはメディア文化の変容と密接に絡み合ってきました。本稿では、ブラジャーの誕生から技術革新、サイズ体系の確立、スポーツブラの登場、そして現代のボディポジティビティ運動に至るまでの流れを、文化史的視点を交えて俯瞰いたします。
メアリー・フェルプス・ジェイコブ 2枚のハンカチと紐を用いて作った現代ブラジャーの原型
ブラジャー誕生と初期市場(1910年代〜1930年代)
20世紀初頭、ニューヨーク社交界の舞踏会に向かう途中、メアリー・フェルプス・ジェイコブは、当時の女性たちが着用していた硬質なコルセットがドレスの下で不格好に浮き出ることに悩まされていました。そこで彼女は、2枚のハンカチと紐を用いて即席の胸帯を制作します。後にこれが“ブラジャー”の原型となり、1914年、彼女は特許を取得します。
同時期、第一次世界大戦によりコルセットに用いられていた金属資材(特にスチール)が兵器製造に優先され、女性の衣服に求められる要件も大きく変わりました。工場労働や屋外活動が増える中、軽量で身体を拘束しないブラジャーは社会的ニーズに合致していきます。1930年代には“brassiere”の語が市場に定着し、胸囲(バンド)とカップ容積を分けて考える概念が米国で芽生えます。
ワイヤー技術と工業化の進展(1930年代〜1950年代)
1950年代には「バレットブラ(bullet bra)」と呼ばれる円錐型ブラジャーが流行し、いわゆる“セーターガール”のシルエットを象徴する存在となりました。
1930年代以降、ブラジャーは急速に工業製品化していきます。合成繊維(レーヨン、ナイロン、ラテックス)の登場に加え、鉄製のアンダーワイヤーが用いられることで、胸部を立体的に支持する構造が実現しました。第二次世界大戦後のアメリカでは、メディアによる視覚文化の隆盛により、ピンナップモデルや女優が象徴する“トロフィーバスト”が理想像として投影されました。
ここで重要なのは、ブラジャーが単なる下着ではなく、女性性を象徴する文化装置として扱われ始めた点です。広告表現、写真技術、映画という新たなメディア環境が、理想的な胸部の形状(丸み・高さ・柔らかさ)を規定し、ブラジャーの設計思想にも影響を与えたのです。
サイズ体系の確立とフィッティング文化(1950年代〜1980年代)
1960年代頃のランジェリー
1950〜60年代にかけて、カップサイズ体系が一般化し、A・B・C・D…といった表記が普及しました。これに伴い、胸囲とカップの二軸でフィットを調整する考え方が広まります。それまで「一部のサイズのみ」で対応していた市場から、「体格差を前提とする市場」への転換といえます。 この流れにおいて、英国は大きな役割を果たしました。英国市場は欧米の中でも胸囲とカップ容積のバリエーションが大きく、より精緻な構造設計や補正技術が発達しました。後にFreyaやElomi、Goddessといったブランドが示す通り、英国は“大きいカップサイズに対応する工学的知見”を蓄積した地域と位置づけられます。ここではフィッティングという文化も発達し、専門店で身体計測を行い、最適なカップ・アンダー・ワイヤー形状を選択するという行為が定着しました。
スポーツブラの登場と身体機能への視点(1970年代後半〜1990年代
(左)開発者のリサリンダール (右)1977年に開発されたJogbraの広告 引用元:Charleston
1977年、女性のランニング人口増加を背景に、初のスポーツブラ“Jogbra”が誕生します。従来のブラジャーは立体的な美観やデコルテ演出を目的としていたのに対し、スポーツブラは乳房の揺れ(バストモーション)を抑制し、筋骨格への負担や痛みを軽減するための“機能設計”に基づきました。ここには、女性の身体を「見せる対象」から「動かす対象」へと捉え直すという価値転換が見られます。
1980〜90年代にはスポーツ科学やバイオメカニクス研究が進展し、スポーツブラの支持性能が可視化され、女性アスリートの競技環境改善にも寄与しました。この過程は、ランジェリーと身体運動の関係を再定義する上で重要な転換点でした。
現代:身体観・価値観・市場構造の再編(2000年代〜現在)
21世紀に入ると、ブラジャーをめぐる議論は、身体の自由、ジェンダー、自己肯定感といった領域に拡張します。SNSを介した情報共有により、従来の“理想胸型”や“矯正美”に対する再考が進み、ノンワイヤー、ノンパテッド、ハーフカップ、カップレス、さらには“着けない選択”など、多様なライフスタイルが認知され始めました。
ボディポジティビティ運動はその象徴であり、多様な体型・民族性・年齢・ジェンダーを肯定する潮流の中で、ブラジャーは“矯正具”から“選択のための道具”へと転換します。着用者本人の快適性と尊厳が、審美性に優先される局面も増えました。
英国市場と技術の現在地
現代の英国ランジェリー市場は、依然として技術性において高い評価を獲得しています。特に大きなカップサイズにおける支持構造、ワイヤー角度、フレーム設計、ストラップ分散設計といった要素は工学的知見に基づき、単なる“おしゃれ”とは異なる領域で発展してきました。
ブラジャーはもはや、身体を飾る衣服であると同時に、身体機能を支える装備としての側面も持ちます。これら英国ブランドの開発背景には、フィッティング文化と成熟した顧客層が存在し、それが技術革新を促す循環を形成しています。
ブラジャーは“衣服”か、それとも“文化装置”か
ブラジャーは20世紀初頭の発明品に過ぎませんが、その変遷は実に多層的です。審美性、工学、スポーツ科学、社会階層、メディア、ジェンダー論など、あらゆる領域が交錯します。コルセットから自由を求めて始まったブラジャーの歴史は、今や“女性が身体をどう扱うか”という問いそのものへと到達しました。
着けるか、着けないか。どの形状を選ぶか。どの文化圏の技術を信頼するか。そこには“正解”よりも“選択”が存在します。
ブラジャーの歴史とは、女性の身体の歴史であると同時に、選択の歴史でもあるのです。

