下着の歴史:
古代のストロフィオンからコルセットを経てブラジャーへ
私たちが日常的に身に着けている下着には、長い服飾史の中で培われた文化や技術が息づいています。とりわけ女性用下着は、単なる衣服の一部にとどまらず、身体観・美意識・生活慣習・社会制度の影響を受けながら変化してきた領域です。本稿では、古代ギリシャに見られる胸帯(ストロフィオン)から、近代のコルセット文化、そして20世紀初頭のブラジャーの誕生に至るまで、その通史を丁寧に辿ってまいります。
LUISA RICCIARINI, BRIDGEMAN イタリアのシチリア島にある4世紀のモザイク画に描かれた古代ローマの女性たち
1| 古代:ストロフィオンとマミラレ
古代の女性下着として最も早く言及されるもののひとつに、古代ギリシャのストロフィオン(strophion)があります。これは胸部を布帯状の素材で巻き、乳房を支える役割を果たしたものでした。素材はリネンなどの布地が用いられ、造形や矯正よりも、日常生活や運動における実用性が優先されていたと考えられています。
同時代、古代ローマでは“マミラレ(mamillare)”と呼ばれる類似の胸帯が使用されました。ローマでは入浴文化やスポーツが盛んであり、胸部を固定する用途は広く認知されていたとされます。こうした古代の胸帯は、女性の身体を華美に造形するための装置ではなく、機能的な補助具として存在していました。つまり、「支えるための下着」という考え方自体は古代から存在していたと言えます。
2|中世:規範と衛生の時代
中世ヨーロッパのシュミーズ(シフト)
中世ヨーロッパでは、女性下着のあり方は大きく変化します。この時代、女性の胸は締め付けられず、胸部を造形する文化は一時的に影を潜めました。キリスト教的価値観の浸透により、女性の身体を隠すという規範が強まり、下着は“身体を覆い、衣服を保護し、衛生を保つ”という目的へ転化していきます。
この頃に発達したのがリネンの“シフト(chemise)”です。肌着として直接肌に触れることで、外衣を汗や皮脂から守る役割を担っていました。胸部の造形よりも、衣服全体の衛生や保護機能が重視された点は、中世の服飾文化を象徴しています。つまり、古代にあった「支える」という目的は歴史の中で一度失われ、次に再び浮上するのはルネサンス以降のことになります。
3| コルセットの隆盛:16〜19世紀
ブロンズィーノ《エレオノーラ・ディ・トレドとその子ジョヴァンニ》 1544–1555年頃/油彩、板 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
ルネサンス期に入ると、再び女性の身体の造形に関心が向けられます。当初は“ボディス(bodice)”と呼ばれる上半身衣が導入され、16世紀後半には“ステイ(stay)”と呼ばれる補正具が登場します。これが後に“コルセット(corset)”へと発展していく原型です。
特筆すべきは、コルセットが単に胴を細く見せるだけでなく、胸部を持ち上げ、デコルテを美しく演出する役割を持っていた点です。これは宮廷文化・サロン文化の中で、衣服が社交の記号として機能したことを示しています。素材にはリネンや綿布をベースに、鯨骨(ボーン)や金属の支柱が用いられ、締め付けを補助するためのレース(編み紐)が背面に配置されました。この構造は19世紀まで長く続きます。
また、ルネサンス〜バロック期の宮廷衣装においては、コルセット(当時はステイに相当)が完全に下着として隠れる扱いだけではなく、外衣に準ずる可視パーツとして機能することもありました。たとえば、刺繍やブロケード生地による飾り付きのボディスがドレスの一部として表に出され、前面のバスク(busk)が装飾的役割を担う場合や、コルセットに付随するボディスがドレスのシルエット形成を支える“見せる基盤”となる例も見られます。この点は、後世の「外側に着用されるコルセット(外衣化)」の萌芽と位置づけることもでき、機能と審美性が一体化していく過程として興味深い側面です。
しかし、コルセットは身体的負担も大きく、呼吸困難、消化器系への圧迫など、医学的問題が指摘され始めました。とはいえ当時の身体観においては“細い胴=教養・規律・階級性”の象徴であり、美意識と社会階層が身体の造形を左右していたことがわかります。
4| 19世紀末:改革運動と工学的アプローチ
19世紀後半になると、コルセットに対する批判と改革が広がります。背景には、産業革命による労働環境の変化、女性教育の普及、医学の発展などが絡み合っていました。なかでも、イギリスで繰り広げられた“合理服(rational dress)運動”は、身体を不必要に締め付けない衣服を求める社会的潮流を生み出し、コルセットのあり方を再考させる契機となりました。
同時に、服飾技術も飛躍的に進歩します。金属製のフックやアイレット、伸縮素材の登場、縫製技術の工業化などにより、下着は徐々に“服飾工学”の領域へ移行していきました。補正とサポート効果が機械的に設計され、身体に掛かる力の分散や着脱の効率化が図られるようになったのです。コルセットはすでに単なる美的装置ではなく、社会の要求に応じた技術製品となっていました。
5| ブラジャーの誕生:20世紀初頭の価値観
Mary Phelps Jacob (1910年、舞踏会へ向かう途中に2枚のハンカチからブラジャーを作り出しました。)
20世紀に入ると、いよいよブラジャーが登場します。1910年代、米国女性メアリー・フェルプス・ジェイコブによる特許取得がよく知られていますが、同時期には欧州でも同様の構造が研究されており、ブラジャーは複数の系統からほぼ同時期に成立したと言えます。
第一次世界大戦は女性の労働参加を促し、コルセットを支える鯨骨や金属が軍需産業に転用された影響もあって、締め付けの強い補正具は急速に後退しました。代わって、肩からストラップで支え、胸部に局所的な補助を与えるブラジャーが普及し始めます。ここには「締め付ける」から「支える」への価値観の転換が見て取れます。
ブラジャーは当初からサイズや形状の研究が進められ、バストの高さ・幅・重量の分布に応じて構造を最適化するという設計思想が芽生えていきました。これは後にカップサイズの定義やワイヤー技術の発展へつながっていきますが、その段階は次の時代に委ねられる領域です。
6| 英国文化への布石
19世紀以降、服飾生産が産業化するにつれ、英国ではフィッティング文化やサイズ展開への関心が高まりました。これは紳士服のテーラー技術で培われた寸法管理の伝統とも関係しています。こうした背景は、後の“サイズ体系の確立”や“着用感の最適化”へと繋がっていきますが、その展開は20世紀後半を待つことになります。
おわりに
古代の胸帯に端を発し、中世で形を潜め、コルセットとして美意識の象徴に昇華し、その後ブラジャーへと展開した下着の歴史は、常に女性の社会的立場、身体の捉え方、生活様式の変化と結び付いていました。
次稿では、ブラジャーが技術製品として成熟する過程。すなわち、ワイヤー技術、サイズ展開、ストレッチ素材、スポーツ用下着、そして現代の多様な身体観に至る流れを扱います。下着は単なる衣類ではなく、時代を映す鏡であることを改めて実感いただけるはずです。

